テレビ・・・それは、いつの間にか生活必需品として人々の暮らしに寄り添っていた存在だ。冷蔵庫や洗濯機と共に『三種の神器』と呼ばれていた事もある。
今回は「もう神器はいらないんだッ!!」と言ってテレビを手放した俺の経験をもとに、テレビ不要論や手放すことで得られたメリットを説明する。
テレビを手放した後に使用している代用品についても紹介するから、そちらも良ければ参考にしてみてほしい。
一体いつから───────テレビが生活必需品であると錯覚していた?
テレビという危険な罠
俺は家電量販店を巡るのが好きだけど、だとしてもテレビは不要だと思っている。視聴者に自覚させないまま、受け身な姿勢を強要してくるからである。
こちらが求めてもいない悪いニュースを延々垂れ流してくるし、貴重な時間を捧げたくなる様な娯楽番組まで揃っている。
ニュース番組は特に危険だ。他人の不幸を知ったところで俺の人生は毛ほども好転しないし、むしろテンションが下がってパフォーマンスが落ちるまである。ノイズだ。
不要な情報を一方的に発信してくるのはもはや洗脳と言ってもいい。その上、ごく当たり前の様に生活必需品として定着しているから恐ろしい。
「最新情報を知ることができたのも・・・」「暇と無縁な生活が送れたのも・・・」「全部」「テレビさんがあったからじゃないか・・・!」
テレビを手放す3つのメリット
では実際に、そんな危険なテレビを手放すことでどのようなメリットが得られるのかと言うと、以下の3点が挙げられる。
- 自由な時間が増える
- 情報収集のクセがつく
- 固定費が削減できる
これらの他に、掃除が楽になったり引っ越しが楽になったりという小さなメリットもあるが、今回それは割愛する。
自由な時間が増える
前述したようにテレビ番組は巧妙に作られていて、継続的に視聴したくなるような仕組になっている。
暇になったらまずテレビ、という誘惑。強靭な意思があればその誘惑をはねのける事は出来るが、それはそれでストレスになる。
いっそテレビを手放してしまえば、そもそもテレビ番組を見るという選択肢が出てこなくなるのでスッキリするし、自由な時間が増える。
その貴重な時間は、本当に自分がやりたい事に投じるべきである。
情報収集のクセがつく
テレビから一方的なニュースを受け取らなくなることによって、強制的に、自ら必要な情報を調べるクセを身につけることができる。
他人から与えられた情報と、自ら獲得した情報。どちらに価値があるかは語るまでもないと思う。
ニュースに限らずどんなことであっても、一度自分で調べるというクセを付けておくと、何かと人生がうまく回ったりする。
固定費が削減できる
テレビやチューナーが設置された家庭が支払わなければならない固定費がある。そう、NHKの受信料である。
日常的にNHKの番組を見ているならともかく、そうじゃない人にとってはあまり意味のない固定費と言わざるを得ない。
テレビを手放すことで、この受信料から解放される。
テレビの代用品
テレビを手放すにしても、さすがに暇潰し手段が一気になくなるのは寂しい。ということで、実際に俺が代用品として使っているものを紹介。
そう、Amazon Fire TV Stickである。
前述の通り、今やメジャーなドラマやアニメはほとんどがVODに対応している。この商品はそういったVODサービスやYouTubeを見るのに特化したガジェットだ。
これを液晶モニタやプロジェクタに繋げば、好きな番組を視聴できる。
更にこの商品はパソコンなどの映像を無線受信することができ、多少遅延はするもののパソコンのセカンドモニタとしても使用することが可能。
キューブ型のものも販売されている。
俺はこれをプロジェクタに接続することで、テレビよりも省スペースながら、テレビよりも贅沢な環境を実現している。
テレビと違うのは『自分が見たい番組だけを探して見る』という工程だ。見たくないノイズは最初から見ないで良い。
テレビは早めに手放そう
わざわざ記事にすることでもないんだけど、ひとまず入門的な感じでテレビ不要論について書いてみた。
テレビはミニマリストに限らず、「実はこれ要らないんじゃね」と指摘される日用品の代表格なので、早いうちに手放してしまおう。
実際、テレビがなかったからといって困ることはあまりない。動物系の番組を見る機会が減ったけど、俺に関しては家の犬猫が可愛いので別に困らない。
なお、テレビを含めて俺が過去に手放したものは以下の記事にまとめている。