「ゆるミニマリストって何?ミニマリストと何が違うの?」
今日はそんな疑問に答えながら、俺があえてミニマリストではなくゆるミニマリストになった重い経緯を話していく。ほぼ自分語りである。
また、多くの人にとってはミニマリストよりもゆるミニマリストの方が丁度いいかもしれないという話もしていく。参考にしてほしい。
ゆるミニマリストとミニマリストの違い
最初に、ゆるミニマリストとミニマリストの違いについて書いておこう。
ミニマリストは生活の合理化の為に『引き算の考え』を選んだ人の事で、対してゆるミニマリストは『引き算の考え』をそこまで重視しない人を指す。
ミニマリストの定義そのものが曖昧だから本人の考え方次第ではあるんだけれど、多くのミニマリストにとって『無駄』というのは、『余白』にすべきものである。
それに対して、俺のようなゆるミニマリストは『無駄』を徹底的に排除することはせず、適度に手放して適度な『余白』を作るに留める。
ほどほどにものを手放し、時々ものを増やしたりもする。それがゆるミニマリストだ。ミニマリストは生き様でゆるミニマリストは手段、くらいの認識が良いかもしれない。
ちなみに、ミニマリストについては以下の記事で解説済である。
俺がゆるミニマリストになった経緯
俺は元マキシマリストで元ミニマリスト、そして現在はゆるミニマリストと公言している人間だ。
自分でも数奇で意味不明な運命を辿っていると思うんだけど、せっかくなので今までの経緯を振り返っていこうと思う。
浪費だらけのマキシマリスト時代
当時勤めていた会社は大企業で、派遣社員として働いていたのに地元の正社員では到底敵わないレベルで稼がせてもらっていた。
「金は天下の回りもの」ということで浪費の限りを尽くし、気付いたときにはマキシマリストになっていた。スマホアプリにもアホほど課金している。
当時は物に囲まれる生活に満足感を覚えていて、無駄こそが人生を演出するというよくわからん思想を持っていた。
依然体は弱かったものの、俺にしか出来ない仕事も多くて派遣社員ながら充実した生活を送っていた。どうせ使っても翌月にはお金が増えるから、贅沢もし放題だ。
転職、そしてWワーク生活
調子に乗って豪遊していた俺に天罰が下される。派遣契約の満了によって勤務先が変わったのだ。派遣社員に永遠というものはない。
これにより給料額は一気に5~6万ほどダウン、今までの生活を続けるのは困難という状況に陥ってしまった。
ついには、2013年から実に6年も寝食を共にしたバイク(Ninja250)すら手放し、ギリギリで生きるだけの日々を送るようになってしまう。
さすがにマズイと思い飲食店で副業を開始。これにより週休1日生活にシフトし、肉体的に厳しい日々を送ることに。
それに加えて、10年近く好きだった相手からの失恋と、大切な人との別離を同時に経験し、精神的にも厳しい状況に置かれることになった。
ミニマリストという存在を知る
精神的にも肉体的にも参っていた時、Minimalist Takeruさん(@takeru4807)の動画をキッカケにミニマリストと呼ばれる人たちと、その思想について知った。
その後、ミニマリストしぶさん(@minimalist_sibu)の動画を見て、ミニマリストがどういう暮らしを送っているのか目の当たりにすることにもなった。
調子に乗っていた頃の俺とは真逆の「足るを知る」という生き方。俺を変えるのはこれに違いないと決意し、ミニマリズムについて本気で学ぶことにした。
主に2人の動画を見て、その後は他のミニマリストの動画も見まくった。ミニマリストはカッコいい生き方だと心から思った。
憧れのミニマリストへ
それから数ヶ月後、俺はミニマリストと名乗るに相応しい生活を送っていた。
不要だと思うものは全て手放し、携帯電話回線も見直した。無駄という無駄を全て排除し、可能なら売却してお金に変換する。
そして生活に多少のゆとりが生まれ、125ccとはいえバイク(正しくは原付二種)を購入する程の余裕もできた。俺はやはりバイク世界にいるべきだ。
『必要なものは手放さなくて良い』というミニマリズムの懐の広さに感動を覚えたのもその時だった。
周りとのギャップ
生活に余裕が出てきた頃、ある友人から「最近のお前は昔ほどイキイキしてないけど、どうしたの?」と言われることになった。
加えて母親からも「昔ほどしんどそうではないけど、人間っぽさがなくなってきてる」と心配そうな声で事情を聞かれた。母子家庭の一人っ子にこれは応える…。
でもそんなはずはない。俺は憧れのミニマリストになったんだ。あらゆる無駄を排除して、必要な物にだけ囲まれた生活を送っている。
だからこそバイクの世界に戻ることができたのだ。俺に間違いはない。俺の選んだ道を否定しないでほしい。
今の俺は、最高にカッコいい、憧れのミニマリストになれたのだから。
空虚な自分に気付く
ミニマリストとしての安定期に入り、そしてある日ふと気付く。
「俺には沢山の余白ができたけど、叶えたい夢とかやりたい事なんてものはなかったな・・・暇すぎる」と。
バイクが好きだからといって永遠にバイクに乗ってる訳にもいかない。けれど、かつて人生を演出していた無駄なものは全て排除してしまっている。
俺 に は 何 が あ る ん だ ろ う … ?
俺は、俺という人間を形作っていたものすら手放していたのである。だから何もない。余白を埋めるような立派な理想もない。
「ミニマリストになりたい」という過ち
俺は「ミニマリストになりたい」というゴールを設定して生活改善を進めてきた。俺が目指していたのはTakeruさんやしぶさんの様なカッコいいミニマリストだ。
けれど、Takeruさんやしぶさんがカッコいいのはミニマリストだからではない。何らかのゴールに向かって突き進む、その手段としてミニマリズムを追求しているからだ。
対して俺は、明確なゴール設定をせずにミニマリストを目指していただけの中身のないファッションミニマリストくずれだ。友人や母親の指摘は的を射るものだった。
・・・俺は、自分のことをカッコいいミニマリストと思い込んでる精神異常者だった。
『自分』を取り戻す
それからすぐ、俺は今までの自分を振り返った。ミニマリストを知るまでは良かった。どこかに間違いがあったはずだと。
そうして、ゆるミニマリストとしての今の俺が誕生した。俺は『自分』を取り戻したのだった。
ミニマリストを目指すのではなく、俺は、俺自身の生活を改善するためにミニマリズムを使う。俺には選ぶ自由があるのだ。
ミニマリズムによる『引き算の考え』を選択肢に入れながらも、時には便利グッズも使うし、大好きなガジェットに頼ったって構わない。大事なのは結果だ。
『足し算の考え』と『引き算の考え』のどちらも上手い塩梅で扱う。ストイックになるほどの目標がない俺だから、多少の無駄も許容する。それもまた俺らしさだ。
そして、現在に至るー。
自称ミニマリストの間違い
俺が過去に調べたミニマリストの中には、俺と同じファッションミニマリストが大勢いたように思う。
何かをするためにミニマリズムを取り入れるのではなく、とにかく物の数を減らすということを目的にしている人たちだ。
もちろんそういう生き方を否定することはしない。物の数を減らすのが趣味ならば、そういう人生も悪くはないだろう。
けれど彼らには、Takeruさんやしぶさんのような確固たる目的の為に徹底的に無駄を手放すカッコいい生き方や人間らしさは見えてこない。
手段と目的があべこべになり、もはや物の数で競争しているだけの空虚な存在でしかなくなってしまっている。
世界を救うことも魔王を倒すこともせず、次の街にも進まない。なのにレベルを上げ続けるだけの勇者・・・それはもう人ではなくただのマシーンだ。
ゆるミニマリストは丁度いい
叶える夢や目標がない俺にとって、極端なミニマリズムは人間味を失う毒になってしまった。
けれどもミニマリズムを導入したこと自体は問題ではなかった。俺が極貧生活から脱出できたのはミニマリストを知ったおかげだし、必要な通過点だった。
故に俺はTakeruさんやしぶさんのようなミニマリストインフルエンサーを否定しない。必要な存在だと思っているし、一方的な感謝すらしている。
一方で、多くの人にとっては究極的なミニマリズムよりもほどほどにミニマリズムを取り入れる方が有用であると考えている。
故スティーブ・ジョブズのような大義を成すために無駄を削ぎ落とす人間は少数派であり、多くの人はストイックな理由でミニマリズムを導入するわけではないからだ。
ミニマリズムの『引き算の考え』を知ったなら、ほどほどに取り入れてゆるミニマリストとして生きてみるのも、案外悪くない。
だから俺はミニマリズム×ガジェットという奇特な切り口で細々と情報を発信し続けている。いつか、ミニマリズムに疲れてしまった人のために。